元禄3年(1690)、洲本の庄二郎または与二郎という船頭が九州の日向の国(宮崎県)へ行った際、
古物商から屋台を買って帰り、同年8月の洲本八幡神社の祭礼に出したのが起源だといわれている。
このだんじりは大勢で綱を持って町内を曳き歩いた。
そのとき各地で起こった出来事を面白おかしく風刺的にやったのが有名になった。
これに刺激された他の村落にも次々とだんじりが造られるようになり、
また時代と共に造りにも改良が加えられていった。
現在のような大型で真っ赤な五重のふとんだんじりが作られるようになったのは、
明治23年ころで島内各地域で競ってだんじりが作られるようになった。
城下町洲本の祭礼図(原画)
江戸時代の風俗や歴史などを描いた書物「味地草」の挿絵
安政4年(1857)
【ポスター】
淡路文化資料館
『おいでて
はいりょ
見てはいりょ』
城下町洲本展